CRAFT

琉球ガラスについて

大城啓一

沖縄県工芸士 / 平成23年 認定番号85

  • 昭和36年10月25日沖縄県糸満市座波で誕生
  • 兼城小学校・兼城中学校卒業
  • 南部商業高校在学中に簿記3級の資格を取得
  • 卒業後、糸満市の「ぎやまん館」というガラス工房でアルバイト
  • 昭和58年、22歳の時に「ぎやまん館」など小規模ガラス工場6社が結集し大きな工場を作るということを聞いて社員として入社
  • 平成17年、前班長の指名で班長になる
  • ガラス職人になっていなかったら…高校の時に教室に貼ってあった募集掲示で真剣に考えたことがある警察官…かな

ポスト

昭和58年に6つの小規模ガラス工場が結集した時にアルバイトから社員になった大城さん。当時のことを思い出して語ってもらいました。「やっぱり最初は出身工房ごとに派閥みたいなものがあったよ。名前もわからないから、最初の1~2年は全員名札を付けてやっていたからね、今じゃ考えられないよ。“他人のリンを勝手に使うな!”とか、絶えず怒鳴りあっていた感じがするよ。」現在の組織が完成するには長い時間がかかっているようです。

アルバイトも含めて8年ぐらいかかって、ようやく吹き手になることができたそうです。覚えが悪かった…そんなことはありません(大城さんごめんなさい)。それまでの積み重ねで技術はしっかり習得して、吹き手としての能力は充分だったのですが、吹く場所がなかったそうです。技術があっても“上”が沢山いたというか、詰まっていて、なかなか機会に恵まれなかったらしいです。誰かが休むと吹き手ができるということで、とっても嬉しかったそうです。 そして、ようやく吹き手になったのは、誰かが辞めたりした訳ではなく、忙しくて工場自体が6班から8班に増えたのでポストも増えたから。運が良かったのかな、タイミングによっては10年以上も、吹き手になれないという人もいたからねと話してくれました。

その後、その運と実力がかみ合って2005年に仕上げを担当する班長になりました。前班長が「啓一がするなら譲ってもいい」という推薦もあったようです。責任が重いけど、やりがいのある仕事なので、もちろんうれしかったと素直な笑顔で静かに語ってくれました。

ハット

取材の日はハットの形の灰皿「オーマイハット」を作っていました。これは大城さんのアイディアの作品です。「シンプルで可愛い灰皿」を考えて欲しいというリクエストがあり、このハットの形を提案したそうです。帽子の上の部分のくぼみでタバコの火を消せるようになっています。またあえてタバコを置く溝を作らずに小物入れやインテリアにも使えるように工夫されています。

大城さんはこのハットを「裏返す」という手法で作ります。裏返すとは…【コップをイメージしてください…机において真っすぐな円柱形です…その飲み口を少し広げてみましょう…カクテルグラスのように…さらに広げて…もっと…もっと…あっ裏返ちゃった~という感じにハットは作られます】逆にわかりづらくなってしまったかもしれません…とにかく裏返すんです(汗)。 このハットは裏返して広げていくので、生地の厚みが重要だそうです。同心円が外側に行くほどに面積が広くなるように、広げれば広げるほど厚さが薄くなっていきます。出来上がりのイメージをしっかりもっていないとうまくできないのでしょう。そして傷をつけないように木のヘラで形を整えていますが、毎回熱くて炎が上がります。本当はもっと柔らかい新聞紙などを水で濡らしたものの方が、傷がつきにくいそうなんですが、広げた生地が薄いので水をつけると割れちゃうそうなんです。

裏返すのはどうやって思いついたんですか?と聞くと「人の反対ばかり考えているからね。あまのじゃくか、バカじゃないと考えられないよ」と大城さんは笑って説明してくれました。それは常に新しいものを作り出そうとする思考になっていることと理解させていただきました。

聞き手:和家若造

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